プロフィール

PROFILE

Kazuya Yanagihara

柳原 和也

愛媛県新居浜市出身。
1983年1月16日生まれ。O型。
15歳から独学でドラムを始める。
19歳で単身上京。
様々なバンド・アーティストのライブやレコーディングに参加。
元来ハードロックやメタルを好み、ツーバスを得意とするプレイスタイルであったが、上京後そういったジャンルの音楽に何故か縁がなく、呼ばれる現場で幅広く様々なジャンルに対応していき、歌を支えるプレイスタイルを心掛けるようになる。
しかし、LIVE中『ココだ!!』という明らかな盛り上がり所でツーバスを炸裂させ、観衆の度肝を抜くことに快感を覚えている。
現在は自身の所属するDATSUN320と並行して、かりゆし58のサポートを主に活動中。
使用機材は、2017年よりモニターアーティストとして、Pearl Drums・SABIAN CYMBALS・VIC FIRTH STICKSを愛用。
ドラムセットは現在Pearl DrumsのRefarence Pureを使用。
趣味は野球観戦と焚き火。
プロ野球はどのチームの試合を見るのも好きだが、とりわけ日本ハムファイターズを応援している。
焚き火はキャンプ場に人が増える夏のシーズンは極力避け、秋〜春にかけて暇さえあれば山に行く。いつかは綺麗な川がある山に住みたいと思っている。

HISTORY

幼少期~高校卒業

【小学生】
幼い頃は根っからの野球少年で、地元のリトルリーグに所属し全国大会にも出場。小学6年で甲子園球場での開会式を経験。(大雨の為、内野スタンド席で行い、グラウンドには降りれず。)

【中学生】
しかし、スラムダンクの影響でバスケットブームの到来により、野球少年からバスケット少年になり、中学ではバスケット部に所属。
上級生の引退後、キャプテンに選ばれ、市内でも負けなしのチームになり、自身も1試合で15本のスリーポイント成功や、決勝戦で逆転ブザービータを決めるなど、そこそこのバスケ中学生活を送る。
バスケ部を引退した秋、文化祭で同級生がバンド組んでLIVEをやったのを見た事がきっかけでバンドブームの到来。
仲の良い友達と自分たちもバンドを作ろうとなる。
初めはベースをやりたいと思っていたが、すでに友人がベースを買っていた為ドラムをやることに。
音楽室でドラムセットを触らせてもらうと、いきなり簡単な8ビートが叩けたのもあり、一気にドラムにのめり込む。
親にお願いしまくり、通販の安いドラムセットを買ってもらい練習に明け暮れる。初めてコピーした曲はGLAYの『生きてく強さ』

【高校生】
高校進学の際、バスケットの実績から地元の工業高校からハンドボールでのスカウトが来るも、もうドラムに夢中だったし、工業高校で男子だらけなんて嫌だと断る。
高校進学後も中学の同級生とGLAYのコピーバンドをしながら、地元出身SEX MACHINEGUNS『みかんの歌』に衝撃を受け、高校で出会った友人とSEX MACHINEGUNSのコピーバンドも組みツーバスに明け暮れる。
明け暮れ過ぎて、早く上京して東京で音楽をやってみたいと思うようになり、徐々に学校に行かなくなり、ドラムとアルバイトの不登校な日々を送るも、単位ギリギリで2年に進級し、担任に諭され、徐々に通学するようになる。
バンドはコピーバンドをしながら少しずつオリジナル曲も作り、地元のライブハウスに数ヶ月に1度くらいで出演。

高校卒業後は東京の音楽専門学校に行こうと受験(審査員の前で楽器の実演)を受け、その年のドラムの受験生の中で唯一のSランク評価を貰うも、諸事情で専門学校を断念。
高校卒業後は1年間地元で働き貯金を貯めて、2002年上京。

上京~2010年

【2002年】
上京半年ほどは音楽をやるあてもなく、アルバイトの日々を送るも、知人の紹介にてバンド『ℓ(リットル)』に加入。しかし、メンバー脱退等もあり半年程で解散。

【2003年】
解散前にℓを脱退したメンバーに誘われ、『Smoking Free』加入。

【2004年】
Smoking Free 1st mini album「対自分」を発売。初の全国ツアーを経験。

【2005年】
Smoking Free活動休止。 と同時に様々なバンドから声が掛かり、『田中』に加入。
同時にフリーランスでサポートドラマーとして様々なバンド・アーティストのサポートを開始。
近視featuring乱視、Go on SAFARI、ファインガール、等
年間100本以上のライブ活動を行う。

【2007年】
『田中』、サポート活動と並行しながら、KOGA RECORDS代表 古閑裕氏率いる『ROCKET K』に加入。
この後、様々な先輩アーティストとの共演や打ち上げで、楽しい酒の飲み方が身についていく。

【2010年】
2nd mini album リリースツアー最中の『DATSUN320』 のサポートを務める。
サポートを始めてすぐ、DATSUN320が『かりゆし58』のツアーサポートを務め、かりゆし58と出会う。

2011年~現在


【2011年】
DATSUN320に正式加入。DATSUN320でスケジュールがとれなくなり始めたこともあり、ROCKET Kを脱退。

【2013年】
DATSUN320 活動休止。
飲み友達のサラリーマンやミュージシャン仲間と、自分達がただ楽しむ為だけのバンド『サーティーズ』結成。
フリーランスでサポートドラマー活動も再開.。
POLTA、日食なつこ、コレサワ、斉藤慶、等

【2016年】
以前から観劇が好きで、興味のあった役者をどうしてもやってみたくなり、友人の役者・高頭祐樹(劇団プレステージ)協力のもと、一人舞台「柳原和也の場合」(作・演 高頭祐樹、出演 柳原和也) 3日間5公演を敢行。舞台関係者からも好評を得る。
一人舞台を行った翌週、かりゆし58の早稲田カンカラーカフェでのアコースティックLIVEと、北海道での「JOIN ALIVE」でのサポートを務める。
3年半活動休止をしていたDATSUN320の活動再開。
仲の良い先輩ピアニスト、山本隆太氏と幾度かのセッションを経て、ピアノ・ドラムユニット『THE BLUE MOUNTAINS』結成。

【2017年】
かりゆし58の1月からスタートのツアーより正式にレギュラーのサポートドラマーとなり、その後も様々なアーティスト・バンドと共演や、イベント・フェス・テレビ番組に出演。
山本隆太氏の急逝により、THE BLUE MOUNTAINSは始動することなく終幕。

【2019年】
沖縄国際映画祭のグランドフィナーレにてホストバンドのドラムを務める。

【2020年】
かりゆし58 8th album「バンドワゴン」発売。全曲ドラム・コーラス参加。

【2021年】
DATSUN320 1st Full album「ノツワ心ク、」発売。
かりゆし58 配信限定single「HeatBeat」全4曲入り。
表題曲「HeatBeat」はメンバー全員ボーカルをするコンセプトで、サポートメンバーながらまさかの人生初のボーカルを経験。
9月26日に開催されたテレビ朝日 DREAM FESTIVAL 2021【関ジャムFES】@幕張メッセより『打首獄門同好会』のサポートを開始。